2022年フィリピン次期大統領選挙の候補者と選挙システムを解説

2022年フィリピン次期大統領選挙の候補者と選挙システムを解説

日本でも有名な現在のフィリピン大統領、ロドリゴ・ドゥテルテ。2016年6月30日に政権をスタートさせ、任期は2022年5月までです。

2021年7月には、ドゥテルテ大統領による最後のSONA(State of Nation Address/施政方針演説)が行われました。SONAは毎年7月第4月曜日に行うことが憲法で義務付けられています。大統領自ら、今までの振り返りと向こう1年間の国の方針を演説するフィリピン政治の大きなイベントの1つです。

2021年のSONAは、現在最大の課題である新型コロナウイルス対策が中心となりました。今後、世論の関心は次期大統領選挙に関心がうつるため、ドゥテルテ政権の政策が大きく進むことは難しいとも言われています。

そこで今回は徐々に噂されつつある、ドゥテルテ大統領後の次期フィリピン大統領の有力候補者をご紹介します。

【ドゥテルテ大統領とは】生い立ち〜フィリピン第16代大統領

目次

フィリピン大統領選挙の仕組み

ドゥテルテ大統領後、2022年にフィリピン新大統領誕生

2022年5月に現在のドゥテルテ第16代大統領は任期を迎えます。

2022年に就任する大統領は、フィリピン第17代大統領となります。(もしドゥテルテ大統領が任期途中で辞することがあれば、現副大統領が来年5月までの第17代大統領に就任します。)

まずフィリピンの政治体制、大統領選について簡単にご紹介します。フィリピンは、上院・下院の二院制、大統領制を採用しています。

任期は6年。大統領は再選不可、副大統領には就任可

フィリピン大統領の任期は、現憲法下では6年間で1期限りで再選は認められていません

過去に前例はありませんが、大統領退任後に副大統領に就任することは憲法と法律上規定されていないため可能ではあります。しかし憲法上は大統領が職務不能となった場合には、副大統領が大統領と決められてます。大統領の再選は違憲となるため、問題があると言う法律家も多いです。

副大統領は1期6年ではなく、2期12年まで可能です。

大統領と副大統領は選挙で選ばれる

大統領選挙と言えば、アメリカ式を思い浮かべる方も多いと思いますが、フィリピンとアメリカでは決定的な違いがあります。

アメリカでは副大統領は同じ政党の大統領候補者に指名されペアで選出されるのに対し、フィリピンでは大統領と副大統領はそれぞれ国民の直接選挙で選ばれます。副大統領以外の全閣僚は、大統領が選任します。

よって現在のドゥテルテ政権でもそうですが、ドゥテルテ大統領とレニー・ロブレド副大統領は別々の政党からの選出です。同じ政権でありながら、大統領と副大統領の意見が異なるということは日常的です。

特に現在のドゥテルテ大統領とロブレド副大統領は2016年当選以後ずっと対立しており、副大統領は政権内の要職から外されています。新型コロナウイルス対策を取りまとめるIATF(省庁間タスクフォース)の毎週の会議には大統領はじめ関係閣僚が参加していますが、副大統領はこの1年間1度も参加すらできていません。

2022年大統領選挙の日程

2022年フィリピン大統領選挙の日程
候補者は2021年10月8日までに届出をし、2022年5月9日が投票日、5月16日までに結果を発表することが決まっています。

また、選挙運動期間は2022年2月8日から5月7日です。

2022年フィリピン大統領選挙の予想される争点

ドゥテルテ路線の継続か否か

ドゥテルテ政権の終盤は、新型コロナウイルス対策に追われることになったため、かねてからの公約はあまり進めることはできませんでした。しかし、依然としてドゥテルテ大統領は支持が強いため、ドゥテルテ路線を継続するかどうかが1つの大きな争点となりそうです。

2021年3月時点では、ドゥテルテ大統領の所属政党であるPDP-Laban(民主党・国民の力)からの出馬は、大統領候補にボンボン・マルコス、副大統領候補にサラ・ドゥテルテの名が取り立たされています。世論調査でも他政党を抑えて人気を得ており、今後も注目されています。

セブ島含むビサヤ地方では高い支持率を誇りますが、マニラ首都圏をはじめルソン島では反ドゥテルテの声がかなり大きくなりつつあることも事実です。背景には、2021年に入っても一向に進展がみられない新型コロナウイルス問題の政府対応、ドゥテルテ大統領の親中の姿勢が挙げられます。

2021年3月29日、マニラ首都圏が1年ぶりに最も厳しいロックダウンを再開したことを受けて、twitterでも日別トレンドで「#DuterteResign(ドゥテルテ辞めろ)」「#DutertePalpak(ドゥテルテ失敗)」が1,2位となりました。

2021年5月、ドゥテルテ大統領の所属政党PDP-Laban(民主党・国民の力)は、ドゥテルテ大統領を次期選挙戦で副大統領候補として出馬を要請する旨、決議しました。また、ドゥテルテ大統領に大統領候補の指名を一任することも決議しました。

新型コロナウイルス後の経済再生

2020年、2021年と新型コロナウイルスによりフィリピン経済は大きなダメージを被ったため、2022年以降は経済の立て直しが必須となるのは確実です。

ドゥテルテ政権下では世界最長とも言われる検疫規制を敷いているため、ドゥテルテ路線を継続するのか、または今後は経済優先でいくのか、抜本的な経済再生策があるのかも含めて争点になると予想されます。

親米路線か親中路線か

国際関係で言えば、新米か親中かどちらの路線をとるのかが1つの争点になると言えそうです。ドゥテルテ政権では親中と言われることが多く、アメリカに対しては軍の駐留問題をはじめ強硬な姿勢で臨んできました。

中国に対しては習近平主席を友達と呼ぶなど、かねてから友好的な発言を繰り返しており、2021年になってからはさらに増しています。いわゆる領土問題となっている南沙諸島について棚上げではなく事実上の中国の支配を黙認する発言や、そもそも大統領選の立候補時に南沙諸島の問題を公約として挙げていないため、自分の任期中には解決するつもりはないと発言して話題になりました。
(後に2016年の大統領選のキャンペーン時に「南沙諸島にジェットスキーで行き国旗をたてる」と発言したことが明らかになりましたが、「選挙キャンペーンの冗談。信じた人はバカ」と発言し、物議を醸しました。)

新型コロナウイルスのワクチンを中国に依存していることやフィリピン国内の送電網管理を中国国営企業に掌握されており、難しい立ち位置に置かれてることも確かですが、今後の中国との向き合い方も争点となりそうです。

マルコス派かアキノ派か

近年のフィリピン大統領を語る上で、マルコス派かアキノ派に分けて語られることが多いです。

ドゥテルテ大統領は、マルコス派と言われています。

マルコス大統領の息子であるボンボン・マルコスも次期大統領候補の1人として立候補することを発表しました。

アキノ派の筆頭は、現副大統領のレニー・ロブレド氏が挙げられます。

ドゥテルテは政界引退

2021年10月2日、与党PDPラバンからはボン・ゴーが副大統領候補の届け出を行いました。あわせてドゥテルテ大統領は、来年5月任期終了後は政界から引退することを発表しました。

これまでドゥテルテ大統領は副大統領候補として立候補すると発表していたものの、政治の世界から完全に引退することを表明しました。

しかし11月15日、PLPラバンはボン・ゴーが大統領に立候補、ドゥテルテは上院議員に立候補の届出を行いました。

2021年12月、ボン・ゴーの大統領選挙とドゥテルテの上院議員選挙への立候補取り消し届出を提出しました。これにより、ドゥテルテ大統領は政界引退を選んだことになります。

なぜドゥテルテ大統領が副大統領に立候補を検討した?

理由は主に2つと言われてます。1つは、2016年からの6年の任期で終わらなかった政策を継続させるため、もう1つはICC(国際刑事裁判所)からの訴追を逃れるためと言われています。

主な政策である麻薬戦争、ビルドビルドビルド(インフラ政策)は、どちらもこの6年間では一定の成果や見通しはついたものの、完全に達成することはできませんでした。そしてドゥテルテ大統領の最も重要な政策である連邦制への移行は、ほぼ完全に手付かずの状態です。

また、超法規的と言われる麻薬戦争について、ICC(国際刑事裁判所)はドゥテルテ大統領の捜査の検討段階に入りました。ドゥテルテ大統領が就任し2019年にフィリピンはICCを脱退しましたが、加入時の事柄についてはICCの権限が及ぶことになります。ドゥテルテ大統領はすでに脱退済みのためにICCの捜査は認められないと言っていますが、2021年7月にフィリピン最高裁はICCの権限が及ぶことを認めました。

したがって今後もしICCの捜査が行われ、裁判そして有罪判決が出たとすれば、ドゥテルテ大統領はオランダのハーグにあるICC内で身柄を収監されるということになる可能性があります。これを回避するために、今後も要職に留まるのではないかとメディアからも指摘されています。

では、なぜ一度発表した副大統領候補を辞退したのかと言えば、ドゥテルテ大統領が副大統領へ立候補したことについて国民の反応が良くなかったためです。

ドゥテルテ大統領は辞退の理由として、元大統領が副大統領に就任することが憲法上どうなのか疑問に思っている国民が多いことを挙げました。もちろんそれもありますが、世論調査の結果が1位の候補者に大きく差をつけられての2位だったことも影響しているでしょう。

政界への影響力を維持するため、また議員の不逮捕特権が目的ではないかとも報じられています。

次期フィリピン大統領の候補者

フィリピン大統領選の世論調査
https://www.pulseasia.ph/から引用

こちらは、民間調査会社にパルスエイシアよる世論調査の結果です。調査期間は、9月6日-11日です。表の見方ですが、「RP」は総合スコア。ロケーションは、左からマニラ首都圏、マニラ以外のルソン、ビサヤ、ミンダナオ。クラスは所得別で、Aが富裕層、Eが貧困層を意味します。

トップのサラ・ドゥテルテは、ダバオ市政を続けることを明言しましたが、この調査時はまだ出馬の可能性が噂されていた時期です。

過去の大統領選挙を見てもやはり事前に名前が上がっている人が出馬をしています。新大統領もここで上位に名前が上がっている人は可能性はあるかと思います。

ただし2016年の大統領選挙では、ドゥテルテ大統領が世論調査で1位になったのは選挙2ヶ月ほど前からで、直前までは目が離せません。

実際には100名近い候補者が立候補をしていますが、当選の確率が高い候補6名をご紹介します。その他の候補者は世論調査でも支持率1%未満ですので、当選の可能性はまずありません。

ボンボン・マルコス(前上院議員)

ボンボン・マルコス(前上院議員)
フェルディナンド・マルコス・ジュニア(Ferdinand Marcos Jr)、1957年生まれ。

日本でも有名なフェルディナンド・マルコス大統領とイメルダ・マルコス夫人の長男です。日本ではマルコス大統領と夫人にはあまり良いイメージはありませんが、フィリピンでは圧倒的な支持があります。

2016年には副大統領候補として出馬しましたが、当時はレニー・ロブレドに敗れています。その後5年間地道に活動を続けていたことで、現在は圧倒的な支持率を得ています。また、出身地であるルソン島北部での支持が磐石なため、他に候補者が多ければさらに有利と言えるでしょう。

妹さんも政治家ですが、ボンボン・マルコスは現在64歳ですので年齢的にも今回がラストチャンスとなるでしょう。21年間に渡りフィリピン大統領であった父親フェルディナンド・マルコス大統領、そしてマルコス政権に終止符を打ったエドサ革命をフィリピン人がどう総括するかが注目されます。

▶︎【ボンボン・マルコス】フィリピン大統領候補、人気No1の理由

レニー・ロブレド(現フィリピン副大統領)

レニー・ロブレド(現フィリピン副大統領)
レニー・ロブレド(Leni Robredo)、1965年生まれ。

現在の副大統領です。ドゥテルテ大統領とは政党が異なり野党政党LPの所属です。政策は距離があり、日頃からお互いに公然と批判しあっています。

イスコ・モレノ(現マニラ市長)

イスコ・モレノ(現マニラ市長)
イスコ・モレノ(Isko Moreno)、1974年生まれ。

現在のマニラ市市長です。

マニラ最大のスラム街であるトンドの出身で、非常に貧しい家に生まれました。自身も10歳からゴミのリサイクルを手伝い始め、貧しさから残飯を食べていた時期もあると語っています。

しかし18歳の時に転機が訪れます。芸能界にスカウトされ、その後は俳優として数々の映画に出演するようになります。また、マニラ市の議員や副市長もつとめ、フィリピン大学やマニラ市立大学、オークスフォードやハーバード大学の短期コースでも政治・行政学を学びます。

2017年には、ドゥテルテ大統領からNorthRail(鉄道公社)の会長に任命されますが、2018年には辞任し、2019年からマニラ市長を務めています。

マニラ市長になってからは社会的弱者によりそった政策を数多く打ち出し、マニラ市内のストリートチルドレンを保護、フィリピン最大のディビゾリアン市場の浄化活動など、マニラの治安や環境改善にも積極的に取り組んできました。

大統領候補としての呼び声も高いですが、国政での経験がない点に加えて、本人は2022年の大統領選出馬を否定しています。しかし2021年7月ごろからドゥテルテ政権の方針を批判しはじめ、大統領選への出馬の可能性をさぐっているのではとも報じられていました。

9月22日、大統領選への出馬を発表しました。副大統領候補は、医師であるウィリー・オンを指名しました。出馬会見ではドゥテルテ大統領との違いを鮮明にしました。ドゥテルテ大統領やボンボン・マルコスと異なり、世襲ではない新しいリーダーをアピールしています。

マニー・パッキャオ(現上院議員)

マニー・パッキャオ(現上院議員)
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao)、1978年生まれ。

日本で一番知名度が高いのは、マニー・パッキャオではないでしょうか。ボクシング世界チャンピオンで、史上2人目の6階級制覇を成し遂げたフィリピンの英雄です。

ミンダナオ島の貧しい家の出身で、パッキャオも中学校を中退して物売りなどをして家計を支えるなどしました。ボクシングは8歳から始め、14歳の時にマニラに出稼ぎに行き本格的にトレーニングを始め、世界最高のボクサーと言われるまでになりました。

2015年にはフロイド・メイウェザーとラスベガスで試合を行い、全世界で大きな話題となりました。試合には負けてしまいましたが、この1試合でメイウェザーは約270億円、パッキャオは約180億円のファイトマネーを獲得しています。

推定生涯収入は約520億円とも言われ日本のイチロー選手の2倍以上、フィリピンのスポーツ界では実力も経済的にも一番の成功者です。

プロボクサーでありながら同時に議員としても活動しており、ドゥテルテ政権を支持しています。2010年から2016年までは下院議員、2016年から現在までは上院議員を務めています。

しかし議会の欠席が多い、失言、税金の滞納などの問題も抱えています。2020年12月にはドゥテルテ大統領の所属政党でもある「民主党・国民の力」の党首となりましたが、2020年7月にはドゥテルテ政権内の不正を訴え党首は更迭されました。

9月19日大統領選への出馬を発表しました。一緒にたたかう副大統領候補は決まっていません。

パンフィロ・ラクソン(現上院議員)

パンフィロ・ラクソン(現上院議員)
パンフィロ・ラクソン(Panfilo Lacson)、1948年生まれ

大学卒業後は軍隊に入隊し、1991年にフィリピン国家警察が設立された時に警察に異動しました。その後、フィリピン国家警察のトップに上り詰め、政治家へと転向しています。

政治家としてのキャリアもすでに20年近くあり、政治家としても数々の汚職事件を暴き、汚職、貧困、治安対策について様々な法案を出しています。

2004年にも大統領選に出馬していますが、3位に終わっています。

次期フィリピン副大統領の候補者

フィリピン副大統領の世論調査
https://www.pulseasia.ph/から引用

こちらが副大統領候補の世論調査の結果です。調査期間は、9月6日-11日です。

サラ・ドゥテルテ(現ダバオ市長)

サラ・ドゥテルテ(Sara Duterte)、1978年生まれ。

現ドゥテルテ大統領の実の娘で、ダバオ市の市長を務めています。

実の娘ということで国民的人気はありますが国政の経験はなく、現在のダバオ市もドゥテルテ市のダバオ市長の後任として政策もほぼ全て受け継いでいるのです。国政を担う政治家としての手腕は未知数と言えます。

ドゥテルテ大統領自身は「娘に大統領をさせるつもりはない」と明言していました。しかし、2021年8月サラ・ドゥテルテは、父親から「サラが出るなら自分(父親)は出ない、その場合ボンゴーを副大統領としてほしい」という内容の直筆の手紙を受け取ったことを暴露しました。また「与党(PDP-Laban)の候補者不足に私を巻き込まないでほしい」と公然と批判しました。

当初は、ダバオ市長への立候補届出を行っていましたが、候補者届出の変更最終日に、副大統領への立候補届出を行いました。

しかしながら、父親であるドゥテルテ大統領の政党PLPラバンからではなく、第12代大統領フィデル・ラモスが創設した政党ラカスCMDからの出馬となりました。第14代大統領グロリア・アロヨフィリピンを輩出し、右派そして親米政党として知られています。

また、政党は異なるもののボンボン・マルコスと連携して選挙戦を戦うことを表明しました。

ティト・ソット(現上院議長)

ティト・ソット(現上院議長)
ティト・ソット(Tito Sotto)、1948年生まれ

すでに上院議員としては4期目のベテランであり、現在は上院議長もつとめています。

元俳優でもあり、過去には何度も映画やテレビドラマに出演しています。

ウィリー・オン(医師)

ウィリー・オン(医師)
ウィリー・オン(Willie Ong)
Facebookのフォロワー1,600万人、Youtube登録者650万人のフィリピン人ならみんなが知っている医師です。

今回一緒に選挙選を戦うイスコ・モレノのFacebookフォローワーは500万人弱なので、3倍近いフォローワーがいます。マニー・パッキャオの1,800万人に匹敵する数です。

しかし、2019年に上院選に出馬しましたが落選しています。

名前が挙がっていた候補者

名前が挙がっていた方です。

グレース・ポー(現上院議員)

グレース・ポー(Grace Poe)、1968年生まれ。

生後すぐ教会に置き去りにされて、司祭から「神の恵み」を意味するGrace Poeと名付けられました。5歳の時にフィリピンで人気の俳優の養子となり、アメリカのボストンカレッジを卒業します。

2016年の大統領選に無所属で出馬しましたが、3位と当選は叶いませんでした。マニラより北のルソン島中部での支持があつく2022年の大統領選挙でも有力候補者の1人と言えますが、出馬については否定しています。

アラン・カエタノ(現下院議長)

アラン・ピーター・カエタノ(Alan Peter Cayetano)、1970年生まれ。

政治家一家で、父親、そして他の三兄弟も政治家です。フィリピンでは政治家が政党を移動は日常的ですが、カエタノ家は父親の代から全員保守政党を貫き通しています。2013年にABS-CBNのインタビューで、「大統領を目指している」と公式に発言しています。

2016年の大統領選挙で当初は大統領選への出馬を検討していたと言われています。最終的には所属政党「PDP-Laban(民主党・国民の力)」から大統領選に出馬したのはドゥテルテで、自身は無所属として副大統領選に出馬しましたが、結果3位と当選は叶いませんでした。

ボン・ゴー(現上院議員)

ボン・ゴー(現上院議員)
ボン・ゴー(Bong Go)、1974年生まれ。

ドゥテルテ大統領の右腕とも言われ、ドゥテルテがダバオ市長時代に秘書をつとめていました。その後大統領補佐官となり、2019年からは上院議員です。

しかしながら、現時点の世論調査ではボンゴー氏の人気はなく、彼自身の実績もほとんどありません。

まとめ

フィリピンの大統領制と、2022年に就任するフィリピン大統領の候補者をご紹介しました。2022年2月には正式に大統領選挙のキャンペーンがスタートします。

また新しい情報がありましたら、追加したいと思います。

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