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【ボンボン・マルコス】フィリピン大統領候補、人気No1の理由

公開日: 最終更新日:

フィリピンは、2022年5月に第17代大統領を選ぶ選挙が行なわれます。

すでに候補者の立候補届出は終了しており、故フェルディナンドマルコス元大統領の長男であるボンボン・マルコス元上院議員が大統領選へ立候補したことで大きな話題になっています。

現時点の世論調査の結果では、ボンボン・マルコスは2位以下の候補に大差をつけて圧倒的な支持率を得ています。ボンボン・マルコスが次期大統領に選ばれる確率が非常に高いと言えます。

日本では否定的に捉えられているマルコス家。なぜ、フィリピンではここまで人気があるのでしょうか。

ボンボン・マルコスとは

ボンボン・マルコスは、1957年生まれの現在64歳です。

父フェルディナンド・マルコス元大統領、母イメルダの2番目の子供として生まれました。

フェルディナンド・マルコスが大統領が就任したのは、ボンボン・マルコスが8歳の時でした。その後、13歳でイギリスに留学し、アメリカのペンシルバニア大学にも留学していますが中退しています。

1980年、23歳で地元であるルソン島北部のイロコス・ノルテの副知事に就任します。1983年からは州知事になりますが、1986年に起きたエドゥサ革命で父フェルディナンドマルコスや母イメルダとともにハワイに亡命します。

1991年にフィリピンに戻り、イロコス・ノルテ選出の下院議員を務めます。1995年上院議員に立候補するも敗れ、1998年には再びイロコス・ノルテの知事に就任し、2007年まで3期にわたって務めます。

2010年には再度上院議員に立候補して当選し、2016年まで務めます。2016年には副大統領候補に立候補しますが惜しくも2位で敗れ、現在は公職にはついていません。

父親はフェルディナンドマルコス元大統領

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あまりフィリピンのことをご存じない方でも、フェルディナンド・マルコス大統領とイメルダ夫人の話は聞いたことがある方が多いと思います。

日本人の知るイメージは、独裁者だったり、悪いイメージでしょう。しかし、フィリピン人のイメージは必ずしもそうではありません。

このフェルディナンド・マルコス大統領の問題は、戦後のフィリピンの歴史の中では最も大きな出来事であり、いまだにフィリピン世論が二分することなのです。

1986年、フィリピンで革命が起こった

フェルディナンド・マルコスは、1965年12月30日から1986年2月25日まで20年以上にわたってフィリピン大統領をつとめました。1972年から1981年まではフィリピン国内の共産党勢力によるテロ対策を目的とし国全体を戒厳令下に置きます。

経済で言えば、フェルディナンド・マルコスが大統領に就任する前のフィリピンは東南アジアでは最も豊かな国の1つでした。しかし、独裁が進につれ海外からの投資も減り、次第に経済成長に陰りが見えるようになります。1984年にはマイナス成長を記録するようになり、失業者も大量に増えました。

そして、ついに起こったのが1986年のエドゥサ革命です。

■エドゥサ革命とは
20年間にわたって大統領であったマルコスですが、高まる国民の不満の解消と諸外国からの圧力もあり、大統領任期途中でありながら選挙を行いました。コラソン・アキノ(後の第11代大統領)が当選したと思われましたが、選挙不正によりマルコスの当選が発表されるとついに国民の怒りが頂点に達します。
1986年2月22日、フィリピンの首都マニラのエドゥサ大通りに反マルコスを訴える100万人以上の市民が集まりました。選挙結果に反対するファン・ポンセ・エンリレ国防相やフィデル・ラモス参謀長らが決起し、「マルコスをもう大統領とは認めない」と表明、軍の高官やアメリカ政府もマルコスを見放しました。
2月25日には、コラソン・アキノが大統領就任式を行います。マラカニアン宮殿を多くの国民に包囲されたマルコス夫妻は、アメリカ軍のヘリで脱出しそのまま家族でハワイに政治亡命しました。

ちなみにこのフィデル・ラモス参謀長は、後にフィリピン大統領も務めた人物で、このマルコス政権以後のほとんどの政権の立役者と言われています。現在は93歳ですが、いまだにフィリピン政界のみならず軍、警察組織にも絶大な力を有していると言われます。

ドゥテルテ大統領もフィデル・ラモスが2016年自身の立候補の立役者であることを認めており、当時88歳の高齢ながら中国大使に任命しました。また今回、サラ・ドゥテルテが副大統領候補出馬しましたが、所属政党に選んだのは自身の政党でも父ドゥテルテの現与党政党でもなく、ラモスが創設したラカスCMPからです。

フェルディナンド・マルコス大統領の評価は、いまだにフィリピン世論でも肯定的な考えと否定的な考えに分かれます。

近年ですと、ドゥテルテ大統領は肯定的に捉えていますし、ロブレド副大統領はじめとするアキノ派と言われる人たちは反マルコスです。

フェルディナンド・マルコスの埋葬問題

マルコス時代をどう総括するか先延ばししてきた象徴的な事柄としては、故マルコス大統領の埋葬問題が挙げれれます。

フィリピンでは大統領は死後、ご遺体はフィリピン英雄墓地に埋葬されます。しかし、故マルコス大統領は1989年の死後に埋葬されず、そのご遺体は30年間近くも防腐処理を施し保存され続けるという事態になっていました。

2016年、ドゥテルテ大統領は突然マルコス大統領を国立英雄墓地に埋葬することを発表しました。

■英雄墓地とは
1947年に、戦時中に戦死した人を埋葬する目的で作られました。埋葬されるのは、大統領、軍司令官、将校、戦死者、警察官、フィリピン独立革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ゲリラとの戦いに参加した軍人、政府または教会の高官・宗教指導者、政府の役職を経験した政治家、国会議員、国民的な芸術家、最高位の勲章受賞者、もしくは軍総司令官、議会、国防大臣によって承認された人に限ります。

フェルディナンド・マルコスの不正蓄財

フェルディナンド・マルコス大統領が任期中に不正に私財を蓄えていたという疑惑です。日本人にもよく知られている「靴のイメルダ」の話です。

資産は世界中に分散していると言われています。疑惑と書きましたが、フィリピン政府はその額は100億USドル(約1兆2,000億円)と推定しており、フィリピン政府は各国とも裁判・交渉を行っており、現在までに約40億ドルを回収しています。

2016年副大統領選では惜敗

ボンボン・マルコスは、2016年に副大統領選挙に立候補しています。大統領候補としての出馬も検討はしていたと思いますが、当時はドゥテルテ待望論が圧倒的であったこともあるのか、大統領候補ミリアム・サンティアゴをとしてタンデムを組み副大統領として立候補しました。

結果は2位で惜しくも叶いませんでした。当選したのは、現副大統領のレニー・ロブレドです。アキノの所属政党であるLPからの出馬で、ドゥテルテ・マルコスとは対立の姿勢をとっています。

この6年間ずっと準備をしてきた

ボンボン・マルコスは2016年の副大統領選で敗れてから、ずっと2022年へ向けて準備をしていました。

この6年間は公人ではなかったため、いち民間人としてずっと活動を行ってきました。フィリピン中をまわり国民とコミニュケーションをとり、ボランティア活動なども取り組んできました。

地盤のルソン島北部や東ビサヤ地域では昔から支持層がありますが、その他の地域ではそこまで盤石の支持はありませんでした。この6年間はフィリピン中に支部を作り、草の根からの活動に取り組んできたのです。

大統領候補に出馬している他の候補者は、現職のマニラ市長や上院議員でありそれぞれ政治活動は行っていました。しかし、ほぼ全ての候補者が選挙活動を始めたのは数ヶ月前からです。この点が、現在のボンボン・マルコスの圧倒的な支持に繋がっています。

ボンボンマルコスは大統領になれるのか

ボンボン・マルコス

https://twitter.com/bongbongmarcos/から引用

支持率は圧倒的

はじめにお伝えした通り、現時点では2位以下に圧倒的な差をつけ、トップを独走しています。

各メディアの世論調査によると、60〜70%を獲得し圧勝の様相を呈しています。2位はメディアによって異なり、レニー・ロブレド(副大統領)またはイスコモレノ(マニラ市長)が追い上げる展開です。しかし、いずれも10〜20%の支持しか得られていません。

選挙戦はどう戦う?

ボンボン・マルコスのセブ島の事務所

2020年10月、セブ市内に開設したボンボン・マルコス事務所


ここまでの様子を見ていると、いかにリーダー像をアピールするかについては非常に慎重な様子です。

ドゥテルテ大統領が強いリーダー像を示して2016年勝利したように、多くのフィリピン国民は大統領には強いリーダーであることを望んでいます。

しかし、マルコス陣営としては「強いリーダー=独裁的」にならないように気を付けているのが、さまざまな場面で垣間見れます。独裁者とも言われた父マルコス大統領を想起させないためでしょう。

また、メディアや他候補者からの批判や疑問に対しても、今は一つ一つ丁寧に回答しています。出馬に当たって、さまざまな批判や疑惑で追及されるのは百も承知のはずです。

ここまで上がったことは

・コカイン使用疑惑
・本当のボンボン・マルコスは40年以上前に死亡しており、替え玉であるという説
・脱税の有罪判決を受けたことによる立候補資格停止

など、日本人の感覚では信じられないような疑惑や問題が色々なところから出てきています。

例えば、コカイン使用疑惑については、これを言い出したのはドゥテルテ大統領です。名前こそ挙げなかったものの、会見で「金持ちの息子である候補者はコカイン中毒である」と言いました。その候補者とは、ボンボン・マルコスのことであることは明らかです。

これに対しボンボン・マルコスはすぐさまドラッグテストを受け、その結果を公表し、これを明確に否定しました。

ドゥテルテ大統領にとってのマルコス

埋葬問題をはじめ、ドゥテルテ大統領はマルコス家に肯定的な考えと考えられてきましたが、2021年11月15日を境に少し変わってきました。

この日は候補者の交代を認める最終締切日で、これ以降の変更はできません。立候補の取下げのみができます。

結果として、ドゥテルテ大統領の娘であるサラ・ドゥテルテは副大統領候補として立候補することになりました。そして、政党は異なるものの選挙をともに戦うパートナーがボンボン・マルコスです。つまり、ドゥテルテ大統領が望んでいたサラ・ドゥテルテが大統領に立候補するのとは違う結果となりました。

この点についてドゥテルテ大統領は、「ボンボン・マルコスより支持率が高いサラが副大統領候補というのはおかしい」と不快感をあらわにしています。

その後もドゥテルテ大統領はボンボン・マルコスのことを、「金持ちの息子というだけでこの非常時に向かない」「英語が上手いだけ」「(名前こそ出さなかったものの)コカインをやっている」など従来までの評価とは一変し、露骨に非難するようになりました。

ボンボン・マルコスが大統領になったらフィリピンはどうなる?

ボンボン・マルコス

https://twitter.com/bongbongmarcos/から引用


ここまでお話ししてきました通り、現時点ではボンボン・マルコスが圧倒的な支持を得ています。

このまま大統領になったら、フィリピンはどうなるのでしょうか?

まだ表明してないことは多いですが、すでに明らかにしていることもありますのでみていきましょう。

ドゥテルテ政権の継承

ドゥテルテ政権が行ってきたインフラ政策「ビルドビルドビルド」は、継続させる方針を示しています。

しかしこれは当然と言えば当然で、その多くは日本や中国からのODA援助によるものですでに建設は始まっているため、中止するという判断は考えにくいです。ただし、どの事業を優先的に取り組むかは変わる可能性はあります。

ドゥテルテ政権で名前がついた「ビルドビルドビルド」ですが、大型事業の多くはその前のアキノ政権時代以前から計画・工事が始まっていたものです。フィリピン国内企業との官民連携方式から、ODAなどに切り替えたのがドゥテルテ政権です。

政権が変わっても、多くの事業は継続されるでしょう。

コロナへの対応

大統領選挙が行われるのは2022年5月ですが、その時点でもこのコロナ問題が完全に収束していることは考えにくいです。

新しい大統領も引き続きこのコロナ問題に取り組むことになると思われます。簡単に言えば、経済を取り開放路線でいくのか、または経済を犠牲にしても規制をかけるのかの2択になるのかと思いますが、最近ではオミクロン株が各国で流行し始めたようにまだまだ今の時点ではこの点はわかりません。

経済・金融政策

経済・金融政策は今後のフィリピンの成長に大きく関わることですが、残念ながらフィリピンでは大きな争点にはなりません。

理由としては、国民の関心の低さと政策への理解の乏しさが挙げられます。歴代大統領も実業家や学者を財務長官に任命し、ほぼ一任する傾向があります。

ドゥテルテ大統領も、ドミンゲス氏を2016年から交代させることなく任命しています。ドミンゲス氏も実業家であり、過去にはフィリピン航空の最高経営責任者、リサール商業銀行の会長などを歴任しています。

外交政策

フィリピンは中国とは領土問題を抱えており、日本と同じように台湾とも近い場所に位置しています。また、アメリカとは米比相互防衛条約・訪問軍協定を締結しており、アメリカ軍が少数ですが駐留しています。

ボンボン・マルコスは、外交政策についてはまだ明らかにしていません。

しかしながら、2021年11月大統領選挙に立候補してすぐ、フィリピンの中国大使館の招待に応じて中国大使館で大使と会談を行っています。民間人であるボンボン・マルコスが、フィリピン国旗を後ろに掲げた状態で中国大使と会談したことからフィリピンメディアからも問題であると取り上げられました。

まとめ

ここまで2ヶ月は、ボンボン・マルコス自身も父マルコス大統領時代についてはほとんど何も発言していません。

他の候補者もあえてなのかその点は触れていませんが、来年5月までのどこかのタイミングで父マルコス大統領時代を追求してくるはずです。

それに対しどう答えてフィリピン国民が納得できれば、ボンボン・マルコス大統領の誕生が近づくと言えるでしょう。いずれにしてもボンボン・マルコスが大統領選に出馬したことで、フィリピンはフェルディナンド・マルコス大統領時代を振り返ることになります。

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