ドゥテルテ大統領

フィリピン第16代大統領、ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ。

71歳で大統領に就任し、フィリピンでは最高齢での大統領に選出さました。

彼は完璧ではありません、いつも乱暴なことを言います。しかし、彼はいつもやってのけます。ドゥテルテはダバオ市長から現在のフィリピン大統領まで、一貫して麻薬撲滅運動に取り組んできました。

ドゥテルテ大統領は、フィリピンの犯罪や麻薬と戦うために、まるでギャングのような手法を取っています。ドゥテルテのその厳しい犯罪撲滅の手段から、「パニッシャー」や(俳優クリント・イーストウッドが演じた映画の登場人物ダーティー・ハリーにちなむ)ドゥテルテ・ハリー」などのあだ名をつけられました。

国際人権団体NGOアムネスティや評論家は、1,400件以上の超法規的殺害にドゥテルテ大統領が関与していると主張しています。亡くなったのは、主に麻薬使用者、軽犯罪者、ストリート・チルドレンでした。しかし、人権団体や野党の批判にもかかわらず、ドゥテルテ大統領はフィリピンの人々の心をつかみました。

ドゥテルテ大統領の生い立ち

少年・学生時代

ロドリゴ・ドゥテルテは1945年3月28日、レイテ島のMaasin(マーシン)という場所で5人兄弟の2番目に生まれました。

父親ビセンテ・ドゥテルテはセブ出身の弁護士でした。後に父はダナオ(セブ島)の市長、その後ダバオ州(当時ダバオが分割される以前)の州知事となった人です。

母親ソレダード・ドゥテルテは学校の教師であり、市民運動の指導者としても活躍していました。

ドゥテルテは、レイテ島のマーシンにあるラブーン小学校に通います。しかし、1年後一家はダバオ市に移り住みます。

その後の彼の学生時代は、決して順調ではなかったと言います。

高校時代は授業をサボっており、また問題をおこし2度の退学処分を受け、以前インタビューの中で高校を卒業するのに7年かかったと語っています。

後にマニラに行き、フィリピン大学に入学しました。そして1968年、23歳で政治学学士号を取得して卒業しました。

その後、同じくマニラのサンベダ大学のロースクールに入学し、1972年に27歳で学位を取得、同年司法試験にも合格しました。

ちなみに2016年集会の中でドゥテルテは、自身がサンベダ大学中に大学内で発砲事件を起こしたことを語っています。ビサヤ出身の友達がいじめられたことを理由とし、その結果、大学を卒業はできたものの、卒業式に参加することはできませんでした。

ダバオ市長として

1977年ダバオ市検事局に検事として入局し、1979年から1981年まで第3次席検事補を務めました。1981年から1983年までは第3次席検事、1983年から1986年までは第2次席検事でした。

1986年には、ダバオ市の副市長に任命されました。そして1988年、彼は市長選に出馬して当選します。その後さらに二期を勝ち取り、1998年までダバオ市長を務め、この間彼はLumad(土着の)とMoro(イスラム系住民)コミュニティから副市長を選出しました。この方法は、後にフィリピンの他の都市でも行われるようになります。

市長の任期制限で連続して三期以上市長を務めることができないため、1998年の市長選挙には立候補できませんでした。

そして、ドゥテルテは国政に進出し下院議員に立候補し当選しました。1998年から2001年まで、ダバオ市選出の下院議員を務めましたが、2001年、彼はドゥテルテはダバオ市長選挙に再び立候補します。

その後副市長の時期(2010年から2013年)を経て、2016年までダバオ市長を務めます。2010年には副市長の時期には、娘のサラ・ドゥテルテが市長を務めました。

この間ダバオ市の状況はあらゆる点で改善しました。フィリピン全国の識字賞を受賞し、高度都市化自治体部門でも3回優勝しています。

ドゥテルテの任期中にダバオの犯罪率は大幅に減少しました。一番成果が出たのが、麻薬との戦いです。

また、午前1時から8時までの間は禁煙・禁酒を徹底し、酒類の販売、提供、消費を禁止していました。実際に市内で喫煙していた外国人がいましたが、ドゥテルテのオフィスに招かれ目の前でタバコを吸わされました。

2016年のフィリピン大統領選挙出馬

2016年のフィリピン大統領選挙で、ドゥテルテは選挙資金や政治機構の不足を理由に、初めは非常に出馬をためらっていました。フィリピンでも選挙運動中には多額の資金が必要となります。

しかし多くの国民からの後押しもあり、ドゥテルテは政党「民主党・国民の力」からの出馬を決め、選挙活動をスタートさせました。

大統領選挙は2016年5月9日に実施され、フィリピン国民の大多数に支持され、2位のロハスより約660万票多い約1660万票(39%)を獲得して当選しました。

2016年6月30日に第16代フィリピン大統領としての任期が始まりました。

ドゥテルテ大統領の政策

麻薬との戦い

ドゥテルテ大統領は選挙運動期間中、数万人の犯罪者を殺害し半年以内に犯罪を終わらせると公約を掲げていました。違法薬物「覚醒剤またはメタンフェタミン」は、それまでフィリピンでは街中で200円程度からの安価な値段で売られてました。

実際にドゥテルテ大統領が大統領に就任し最初の半年で約6,000人の麻薬関係者が殺害されました。そのうちの何割かは警察官によって射殺されています。警察官以外が殺害した例も多数あり法律に反しているものですが、「超法規的殺害」としてドゥテルテ大統領は肯定し、殺害の容疑で起訴は行われていません。

実際にドゥテルテ大統領も、ダバオ市長時代に自ら麻薬関係者を殺害したことを会見で明らかにしています。

人権団体やローマカトリックの関係者は反対の声を上げていますが、ドゥテルテはこれに対し、反対にローマカトリック教会の汚職と子どもへの虐待の問題を非難しています。一般世論はフィリピンの麻薬撲滅のために肯定する意見が多いですが、現副大統領レニー・ロブレドはじめ、政権内や議員からの一部からも非難の声があがっています。

税制の大きな改革

ドゥテルテ政権は、2018年1月税制を抜本から見直しました。

所得税は、大幅な減税を行いました。ほぼ全ての国民が減税の対象です。増税の対象となるのは、年収で約1,200万ペソ(約2,500万円)以上の超富裕層のみです。

今までは年収に限らず最低でも5%課税されていましたが、この新税率では年収25万ペソ(約53万円)までは非課税となりました。

贈与税は2%から15%の累進課税だったのが、一律6%となりました。約200万ペソ(約420万円)がボーダーとなり、これ以下の場合は増税、これ以上の場合には減税となります。

増税となったのが、印紙税や株式売却にかかる税、生活に直結するところではジュースなどの甘味飲料、タバコ、ガソリンなどです。

積極的な公共事業

ドゥテルテ政権は、「Build! Build! Build!」つまり「作って作って作りまくれ!」という積極的な公共事業を推し進めています。

大規模な公共事業を行うことで、首都圏はじめ地方のインフラも整備をし、雇用を生み、また首都圏の交通渋滞を緩和が期待されています。コロナ禍においてもこの政策は国にとって必要なものなので継続することを会見で述べています。

セブにおいても、現在セブ島とマクタン島間を結ぶ橋を2本建設中です。

ABS-CBNの放送権剥奪

2020年、ドゥテルテ政権は、フィリピンで最大の民放放送局であるABS-CBNのテレビ・ラジオ放送権を剥奪しました。フィリピンでは大きなテレビ放送局が2つあり、その内の1つがABS-CBNです。日本で言うならフジテレビとニッポン放送でしょうか。

1995年に25年間の電波使用権が与えられ、2020年に更新時期となりましたが認められませんでした。

そのため現在テレビ・ラジオでは見ることができず、YoutubeやTwitterなどのSNS、また自社のHPで情報を発信しています。

ドゥテルテ政権はABS-CBNの納税について問題があったためと述べていますが、ABS-CBNはドゥテルテが大統領になる以前から反ドゥテルテの報道姿勢をとっており、ABS-CBNが現政権に批判的だったために潰されたと多くのフィリピン人も見ています。

またドゥテルテ自身も「財閥を1つ潰した」と述べています。ABS-CBNを保有しているのは、ロペス財閥と言われるフィリピンの大手財閥の1つです。

国際関係

ドゥテルテ政権になり国際関係も変わりました。大統領就任直後に、アメリカとの外交政策を見直し、ロシアと中国との関係強化をすることを述べています。

実際に「超法規的殺害」は国際社会でも問題となり、欧米諸国特にアメリカとの関係は急速に悪化しています。

ドゥテルテ大統領は就任後に会見で、当時のアメリカオバマ大統領のことをタガログ語で売春婦の息子を意味する「プータン・イナ (Putang ina)」と述べ、予定されていた米比会談が中止になるなど、アメリカとの関係は急速に冷え込みました。

トランプ大統領になってからは改善の兆しも見られましたが、2020年には「米軍地位協定」をフィリピン側から一度は破棄(後に保留を再通告)するなどし、米比同盟の根幹を揺るがしかねない事態となっています。

一方、ドゥテルテ大統領はロシアや中国との関係を強化してきました。2020年新型コロナウイルスのワクチンも、ロシア産または中国産の輸入が検討されています。

連邦制への移行

日本のニュースではあまり取り上げられませんが、大統領選前からの最も大きな公約の1つに、フィリピンの連邦制への移行があります。

現在のフィリピンは、日本と同じように単一国家で中央政府と地方政府があります。これをアメリカやドイツのように連邦制へ移行しようというものです。

ドゥテルテ大統領は2016年の選挙期間中には「当選後2年以内に、連邦制移行のための憲法改正の国民投票を行う」。当選直後には「連邦制への移行が成し遂げられれば、大統領任期満了前に辞職する」とさえ述べています。

連邦制への移行には憲法改正が必要となるため、2016年当選直後に大統領令で憲法改正のための検討委員会を設置し、2020年現在も議論は重ねられています。すでに草案は発表されています。

抜粋すると、
・現在の州の区割りを一部変更し、18の地域からなる連邦制に移行する。(6つという案もあり)
・上院・下院の選挙区を変更し、定数の大幅削減をする。
・税収のあり方を見直し、連邦政府は20%、各地域が80%を受け取る。
・連邦行政府をマニラ、連邦議会を中央ビサヤ、連邦最高裁判所を北ミンダナオに置く。

など、今までの国のあり方を大きく変える案が検討されています。さらに委員会では大統領制の任期変更(4年間、2期まで)も憲法改正草案に盛り込んでいます。

連邦制のメリット・デメリットはそれぞれあると思いますが、フィリピンへの連邦制への導入に伴い懸念されているのは貧富の差のさらなる拡大です。

そもそも連邦制の導入はミンダナオでのイスラム過激派問題の解決、首都マニラの一極集中を見直し、国から地方への権限移譲をすすめるのが目的と言われています。しかし、税収の配分を見直しそれぞれの地域への分配を増やすことで、経済活動が活発な都市圏と地方ではさらなる格差が生まれることが懸念されます。

20%と80%の配分以外に、経済的に弱い地域には補助をするとしていますが、具体案は明らかになっていません。

この連邦制への移行には憲法の改正が必要であり、大統領の公約であってもハードルは非常に高いものです。国民からの理解もあまり得られておらず、民間の世論調査でも最近ではこの連邦制に対しては不支持が上まっているのが現状です。

しかし2020年新型コロナウイルス対策で首都マニラでも経済活動がストップし、新しい生活を模索する中で、2020年5月「BALIK Probinsya、Bagong PAG-ASA」という大統領令が交付されました。

マニラやその他都市圏から地方への移住を奨励し、地方の活性化やマニラの一極集中・渋滞の解消を目的とするプログラムです。交付後1ヶ月弱ですでに1万人以上の人が国費でマニラから地方へ移住をしました。

ドゥテルテ大統領の家族

1973年、ドゥテルテはフィリピン航空の客室乗務員エリザベス・アベラナ・ジマーマンさんと結婚し、3人の子供をもうけました。その後2000年に結婚の無効化をしています。(フィリピンでは離婚という制度がないため、裁判で結婚の無効化を行います)

しかし2人の関係は今でも決して悪くなく、彼女はドゥテルテという姓を使い続けおり、2016年の大統領選挙の時には手伝いもしています。

1990年代に、ドゥテルテはフィリピンの実業家で元看護師であるハニーレットさんとの関係を築き、後に彼女は内縁の妻となり、ヴェロニカという娘がおり、彼らは現在マニラで一緒に暮らしています。

ドゥテルテには現在8人の孫がおり、そのうち半分はキリスト教、半分はイスラム教徒です。

最初の妻であるジマーマンさんとの3人の子供のうち、長男パオロ・ドゥテルテ(1975年生まれ)は下院副議長、長女サラ・ドゥテルテ(1978年生まれ)はダバオ市長を務めています。2人とも将来のフィリピン大統領候補とも言われています。

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