セブ島に鉄道があったのをご存知ですか。
1911年から1942年まで、セブ島には蒸気機関車が走っていました。南北に約90km、セブ島の北部ダナオからマンダウエ市、セブ市を通り、セブ島南部のアルガオという町まで線路がありました。
戦前セブ島は鉄道があった
1906年、アメリカの植民地であったフィリピンはアメリカの指示のもと国営のフィリピン鉄道公社(PRCC)にイロイロ、ネグロス、そしてセブで列車路線を運行する権利を与えました。
セブ島に限って言えばサトウキビ、アバカ、ココナッツ、石炭の運搬、そして人の交通手段が必要であったことが理由でした。
今日ではネグロス島がフィリピンのサトウキビ生産の中心地ですが、当時はセブ島も同等の砂糖生産量を誇っていました。セブ島北部の大半はサトウキビ畑でした。
アバカはスペイン統治時代以前から生産が行われていました。マゼラン来航時にはアバカで出来た服を着ていた者がいるとの記録も残っています。
■アバカとは
アバカとはフィリピン原産の天然素材で、マニラ麻とも言われます。天然素材では最も耐久性があるとも言われ、古くはロープ作りに利用されたり、紙幣の原材料となるなど現在でも用いられる繊維です。現日本銀行券も、マニラ麻が主原材料です。
1850年から1900年ごろにかけては砂糖と並び、フィリピンの輸出額の最大を占めていたと言われています。現在でも世界のアバカ生産の90%を近くをフィリピンが占めており、アバカ生産に関わるフィリピンの労働者人口は150万人とも言われています。
セントラル・ステーション(中央駅)はコロンのEモールからLTO、サウスバスターミナル、セブ市医療センターまでの場所に建設されました。
セブ島南部への長距離バスの出発地であるサウスバスターミナルがあるのも100年前の名残と言えます。駅の跡地のため、広大な敷地があったものと思われます。
中央駅から港までは1km弱の距離があり、線路がひかれていました。砂糖やアバカはフィリピンのみならず、海外に輸出されていたのです。
太平洋戦争で破壊された
鉄道がなくなった理由は、太平洋戦争でした。
1942年日本軍がセブ島に侵攻した後にアメリカ軍の再度の侵攻に備え、インフラである鉄道を意図的に破壊したと言われています。
1945年に終戦を迎えた時に鉄道の再建の話は出ましたが、結果として再建はされませんでした。鉄道の競合であるバス会社が政府に圧力をかけたという話もあります。
今日では鉄道の名残をとどめるものはほとんど残っていません。
線路は砂糖会社等に売却されました。いくつかの駅舎は現存していますが、改修されており当時の面影はありません。カルカルの駅は売却されレストランになり、シボンガの駅は公立小学校の図書館、アルガオの駅は消防署として使われています。
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