セブ島でタクシーやジプニーに乗っていて、激しい渋滞に巻き込まれたとき、「ここに電車が走っていればいいのに……」と思ったことはありませんか?
実は今から約100年前、セブ島には南北約90kmにわたって蒸気機関車が走る本格的な鉄道網が存在していました。
今回は、セブ島にかつて存在した「幻の鉄道」の歴史、なぜ姿を消してしまったのかという謎、そして現代のセブ島に今もひっそりと残る当時の駅舎や痕跡について詳しくご紹介します。
かつてセブ島を縦断していた蒸気機関車

1906年、アメリカの植民地であったフィリピンはアメリカの指示のもと国営のフィリピン鉄道公社(PRCC)にイロイロ、ネグロス、そしてセブで列車路線を運行する権利を与えました。
セブ島に鉄道が運行していたのは、1911年から1942年までの約30年間。
アメリカ統治時代、アメリカ政府の主導で設立された国営「フィリピン鉄道公社(Philippine Railway Company: PRC)」によって建設されました。
- 運行区間: 北部のダナオ(Danao)から、セブ市を通り、南部のアルガオ(Argao)まで
- 総延長: 約90km
- 動力: 蒸気機関車
北の終点ダナオには列車の転車台(方向転換設備)が設置され、ダナオの鉱山から採掘された石炭と水を補給して一泊し、翌朝セブ市へ折り返すというダイヤが組まれていました。
なぜセブ島に鉄道が必要だったのか?
当時のセブ島は、人々の移動手段としてはもちろん、農産物や資源を港へ運ぶ大動脈として鉄道が不可欠でした。
- サトウキビ(砂糖): 現在でこそネグロス島が砂糖の一大産地ですが、当時はセブ島北部も広大なサトウキビ畑が広がり、主要な輸出品でした。
- アバカ(マニラ麻): フィリピン原産の強靭な天然繊維で、船のロープや紙幣の原材料(日本の紙幣にも使用)として世界中に輸出されていました。
- 石炭: ダナオなどで採掘され、蒸気機関車の燃料や産業エネルギーとして運搬されました。
これらを効率よくセブ港へ運び、海外へ輸出するために鉄道網が整備されたのです。
日常の中に今も残る鉄道の痕跡

セントラル・ステーション(中央駅)はコロンのEモールからLTO、サウスバスターミナル、セブ市医療センターまでの場所に建設されました。
実は、普段私たちが何気なく利用している場所や目にする地名に、当時の鉄道の名残が隠されています。
① セブ・サウスバスターミナルは「かつての中央駅」だった
モアルボアルやオスロブなど、セブ島南部へ向かう長距離バスの発着地である「セブ・サウスバスターミナル」。
実はこの敷地一帯(現在のEモールやセブ市医療センター付近までを含む広大なエリア)は、かつてフィリピン鉄道公社の「中央駅(Central Station)」と車両基地があった場所です。
中央駅からは港に向けても線路が伸びており、貨物の積み下ろしが行われていました。100年前の人々も、現在の私たちと同じ場所から南を目指して旅立っていたのです。
② 地名に残る「駅」の名残(Sitio Estasyonan)
セブ島北部、ダナオ市のマスログ(Maslog)地区には、現在も「Sitio Estasyonan(エスタシオナン=駅の場所)」という集落名が残っています。
当時ここに鉄道駅が置かれていたことからその名が付き、今でも石造りの壁などの遺構が現地に残されています。
なぜセブ島の鉄道は消えてしまったのか?

鉄道がなくなった理由は、太平洋戦争でした。
セブ島を走り抜けていた鉄道は、なぜ忽然と姿を消してしまったのでしょうか。そこには「ライバルの登場」と「戦争の悲劇」がありました。
激しいバスとの運賃競争(1930年代)
1930年代に入ると、並行する幹線道路に「セブ・オートバス(Cebu Autobus)」をはじめとする路線バスが登場します。
バス会社は鉄道の通常運賃の半額〜4分の1という破格の安さで運行を開始。鉄道とバスの間で激しい乗客の奪い合いが繰り広げられ、鉄道の経営は徐々に苦しくなっていきました。
太平洋戦争による破壊
決定打となったのは、1941年末に勃発した太平洋戦争でした。
1942年に日本軍がセブ島に侵攻した際、米比軍や現地のゲリラは日本軍の進軍を食い止めるため、鉄道の鉄橋を次々と爆破しました。
さらに、引き抜かれた線路のレールは、山道(タリーサイからトレドへ抜けるマニピス・ロードなど)に運ばれ、「対戦車障害物(バリケード)」として転用されました。
そして終戦間際の米軍によるセブ奪還作戦時の空爆により、中央駅や車両基地などの主要施設も壊滅的な被害を受けました。
なぜ戦後に再建されなかったのか?
1945年の終戦後、鉄道を復旧させる案も検討されました。しかし、破壊された線路や車両を元通りにするには莫大な費用がかかる状態でした。
また、戦後は道路整備とバス輸送が急速に普及したことや、地元の有力者たちによる交通ビジネスの力学も影響し、鉄道の再建は見送られることとなりました。
使われなくなった線路のレールは1950年代に競売にかけられ、その多くはネグロス島やパナイ島(イロイロ)の製糖会社に売却され、サトウキビを運ぶトロッコのレールとして第二の人生を送ることになりました。
いまも見に行ける!セブ島「鉄道遺構」めぐり
線路は撤去されてしまいましたが、セブ島南部へ向かう国道沿いには、当時の駅舎が姿を変えて今も現存しています。
① アルガオ消防署(旧アルガオ駅)
南の終着駅だったアルガオ駅の建物は、なんと現在「アルガオ消防署(Argao Fire Station)」として現役で使われています。
建物の特徴的なアーチ構造や骨組みに、アメリカ統治時代の駅舎建築の面影が色濃く残っています。
② シマラ小学校の図書館(旧シボンガ駅)
願いが叶う教会として有名な「シマラ教会」のあるシボンガ町。そのサバン(Sab-ang)地区にある「シマラ小学校(Simala Elementary School)」の敷地内に、当時のシボンガ駅舎が残っています。
丁寧に修復され、現在は小学生たちが本を読む学校の図書館として大切に活用されています。
③ カルカルの旧駅舎と川沿いの橋脚
豚の丸焼き「レチョン」で有名なカルカル市(バリャドリード地区)にも、かつての駅舎の建物が残っています。
また、カルカルやサンフェルナンドなどの川沿いには、線路こそ失われたものの、蒸気機関車の重みに耐えるために作られた頑丈な石造り・コンクリート製の「橋脚の土台」が今も取り残されています。
車窓から100年前のセブ島に思いを馳せてみては?
現在、セブ島では慢性的な渋滞を解消するため、BRT(バス高速輸送システム)の整備や、新たなモノレール・ライトレール(LRT)構想が議論されています。
100年前にセブ島を縦断していた蒸気機関車。 オスロブのジンベエザメツアーや、カワサンの滝、シマラ教会などへ車で向かう際は、ぜひサウスバスターミナルや街道沿いの風景に注目してみてください。
車窓を眺めながら、「昔はここに列車が走っていたんだ」と歴史に思いを馳せてみると、いつものドライブが少し特別なものに感じられるかもしれません。





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